Dipinto del 1526 (Berto di Giovanni)

私とイタリアとの出会い

 私とイタリアとの出会いは、今から13年ほど前になります。高校卒業後私はすぐにイタリアに渡り、まず最初にイタリア語の勉強の為、イタリア中部にあるウンブリア州の州都ペルージアに行き、そこで3年間生活をしました(その頃はもちろん中田選手もいなくてペルージアのサッカーチームはとても弱く、たしかセリエAの下のそのまた下のセリエCの真ん中あたりにいたのを覚えているのですが・・・今はすごいですよネ)。

 当時ペルージアには日本人学生が100人程住んでいて、そのほとんどが「ペルージア外国人大学」でイタリア語の勉強をしていました。この大学は、外国人にイタリア語やイタリアの文学といったものを広く理解してもらおうと、イタリア政府の援助のもとに運営されている語学学校で初級(3ヶ月)、中級(3ヶ月)、上級(9ヶ月)コースの他に、夏期の集中コースもありその授業内容もとても充実したものでした。夏の集中コースには世界中から多くの外国人が集まり、中にはペルージアでイタリア語を習いながら、イタリア中を観光したいという観光客の姿も多く見られました。

 3年間のペルージア生活の後、私はベネツィアに引っ越し、ベネツィア国立大学の建築学部で勉強をしながら、ベネチアンガラスのギャラリーで働き始めました。アルバイトで始めた仕事だったのですが、仕事仲間に恵まれたせいか毎日がとても楽しく、今思えばそれが私とベネチアンガラスとの出合いでした。
 結局ベネツィアには合計して9年間も住むことになったのですが、その間ベネツィア本島にあるベネチアンガラスショップや、ムラノ島にあるガラス工場など合わせて5店を転々と勤め、この間に多くのガラスメーカーの方々や「Pino Signoretto(ピーノ・シニョレット)」、
「Rosin(ロジン)」、「Livio Seguso(リビオ・セグーゾ)」、「Elio Raffaelli(エリオ・ラッファエッリ)」といった、世界的に有名なガラス職人達と知り合うことができました。